2011-03-21
悲しみではなく、安らぎの祈りを

最初の地震のとき、私は青山の交差点で信号待ちをしていた。
ぐらぐらと足元が揺れ、立っていられず、隣の先輩の腕を掴んだ。

見上げると、ビルの上のアンテナが落ちてきそうなほど揺れていた。
先輩は、すぐにiPhoneを取り出して、動画を撮り始めた。

会社に戻ると、みんな逃げ出してきていて、ひどく動揺した様子だった。
話を聞くと、私のデスクがある6Fのフロアでは、
本棚から大量の本が落ち、 モニターが倒れて床に落ち、
植木が倒れて土がばら撒かれ、花瓶も落ちて割れたという。
9Fは文字通り、足の踏み場もないと。



さらに非常階段を下りてくる途中の壁に大きな亀裂を見つけ、
怖くてこのビルには戻れない。と皆口々にいっていた。



交通機関が止まったので、遠方の人は会社に泊まることになったが、
3時間、5時間コースでも歩いて帰る人たちもたくさんいた。



私は代々木公園近くの仲良しのところにいくことにした。
自分たちでは気づかなかったけれど、やはり共に精神的ショックを受けていたのか、
助け合うべきこんなときにぶつかったりして、さらに哀しくなったりした。






自分たちがつくりあげたビルの狭間で、
どこに逃げるべきかも分からない、人間のあやうさ。
情報収集・伝達のためとはいえ、目の前の不安な人の手より、
電子機器を手にとる人の多さ。



そんなものをわざわざ探し当てて哀しくなったりして、
さらにニュースでは酷い映像が流れ続ける。

夜も余震は何度も続き、何度も起きながら、悪い夢ばかり見た。





一日経ち、
電車が動いて家に戻り、自宅はそう被害を受けてなかったことを確認して、すぐ、家の前の公園に行った。

とにかく、木々の優しさに会いたかった。




1時間ほど、木々のそばで大地に寝転がって、風にうたれ、ようやく、
不安だったんだな。
ショックだったんだな。
元気なくしてたな。
みんな、みんな、そうなんだな。
と思うことができた。



そして、自分に何ができるのか、ということを考えられるようになった。
こんなとき、私にできること。
それは、ひとつ。

祈ること。
悲しみの気持ちではなく、安らぎの気持ちで。

思うことこそが、現実になる、ものだから。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



波は多くの生命(いのち)を優しく抱きとる。
海から広がり、宇宙へとはこぶ。

ひとつひとつの生命(いのち)は、星々のように輝き、揺らめく。
見守るたくさんの人たちの想いが花になって、一緒にたゆたっている。

そこにあるのは悲痛や孤独ではなく、
安らぎと大きなものに守られる安心感、一体感。


光であるがゆえ、光に還る。
安らぎであるがゆえ、安らぎのなかに。。。


人類の優しい想いは、地球にも、海にも
染みこんで伝わる。



地球だって、海だって、きっと
荒れたくて荒れているわけじゃない。



大丈夫だよ。

もう、大丈夫だよ。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人それぞれ、役割やできることは違っていて、
ある人から馬鹿らしく思えたとしても、
これがいま、この環境下で自分にできる一番のこと、だと思った。


これからもニュースは辛い事実を伝えると思うけれど、
ニュースを見て、情報を知り、対策をとることも大切だけど、
情報に翻弄されて悲観したり、慌てて「何かしなければ」と思うようになったら、
この感覚を思い出そう。と思った。


いまはまだ、何も終わっていない東日本で、
それぞれが、それぞれの安全を確保し、
落ち着ける環境を整えることがまず大切なときじゃないかと個人的には思っている。
自分が安らいでいることが、周囲の平穏につながる。
いつでも、どんなにそれが善いことに思えても、
遠くより、まず足元をきちんと見つめられる自分で、私は在りたい。


正義感や使命感をふるう人はたくさんいるだろう。
だから、いまは私は、安らぎの感覚と、祈りを捧げる人であろう。



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