「ことば」って本当に。
使いかたによって、というか、使う人の心によって、及ぼす影響の幅がとんでもなく変わってくる。
人との間に生じた溝は、人づての簡素な言葉じゃ埋まりはしないし、
一方、100%の心から届けられる言葉は、心を震わし、涙を誘う。
いつでも、「これでもか!」っていうくらい、繰り返し繰り返し、一生懸命、思いを伝えようと、優しさと思いやりを塊にして作ったバクダンみたいなメールをくれる友人がいて、わたしも、彼女のように、「ことば」を扱う人間で在りたいな、とあらためて思う。
思うに、男性は「説明」のために言葉を用い、女性は「思い」を伝えるために、言葉を多く使うような気がする。
女性が無意識的に発する言葉は、たいてい説明や理論が足りないし、男性が発する言葉は、思いと感情が足りない。
大昔、男性は、狩りの最中に余計な言葉なんか使っていると、今日の食糧どころか、自分の命も危ないから、暗号くらいの言葉でのコミュニケーションが必要だったんだろう。
一方、女性達は留守番中の集落で、こちらも生き抜くために、ご近所さんとのお付き合い・助け合いが大切であり、必要だった。
でも、考えてもみれば、そんな時代から、もう数千年も経ってるわけです。
いつまでも、そんな習慣を理屈にはできないでしょう。
女性がなんとかかき集めた言葉の材料を並べ、理路整然とはいかずとも、何かを伝えようとする姿は胸を震わすし、男性が、あるとき、ボロっとこぼしてしまう感情に、目が覚めるような美しさを見ることもある。
結局は、その言葉を通して、その人自身、人生や在り方が出現してるかどうか。が大事な気がしている。
わたしもサンタも、お互い妙なこだわりを持っていたり、すでにだいぶ世間から浮いた変わり者同士。
だから、色々ぶつかることはあるのだけど、言うならば、やっぱり「うまく」いっていて、ぶつかるプロセスも「ケンカ」ではなく、「対話」だと言えたりするのも、珍しく二人ともが、できるだけ「ことば」を丁寧に扱いたい、と思っているからかもしれない。
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