2011-05-22
ほとんど音楽のような詩

ワタリウム美術館の「驚くべき学びの世界展」のイベント:

「子どもの創造性 ―― アートとしての言葉が生まれるとき」
谷川俊太郎 + 佐藤学 の対談

に行ってきた。

講演のなかで、谷川さんが絵本を朗読されたのだけど、
ほとんど音楽のような詩だと思った。



僕の詩にはリズムではなく、調べがあると思っている。

という話が印象的だった。



戦時中、人々は、七五調の軍歌を散々聞かされ、歌わされ、
戦後は、その反発で韻をふむことが嫌がられ、言葉は記号化された。
そして、そのうち言葉から音楽が消えた。


けれど、ふいに出てくる言葉に、

「ここはなんか一字多い・足りない気がする」ときが私もよくある。


そういうとき、わたしも、
何か見えない、聴こえない調べにのっているのかもしれない。



詩人ともあれば、職業デザイナーとは違い、
自ら思いを発するアーティストであり、ロマンチストなのかと思いきや、

「僕なんかは資本主義どっぷりの人間ですから。」
「注文があるから書けるんです。」
と軽やかに笑いながら話されていた妙にリアリストなところが、
なぜかステキに思えてしまった。


ふわふわしたきれいごとより、
よっぽどさっぱりしていて、真実味がある。



もうひとつ、
佐藤さんが、幼児教育について、
レッジョに通うとどうなるのですか?普通の幼稚園に通った子に比べて顕著な違いはありますか?という質問に、


「簡単にお答えします。分かりません。」
「僕達はいまに責任を負っているのであって、未来に負っているわけではないんです。正直、未来にどうなるかなんてわかりません。でもいまその瞬間、子供達に最良と思えるものを与えるのがよい教育だと思っています。」

「ただ、ひとつ言えるのは、レッジョに通った子は、自分が親になったとき、自分の子をレッジョにいれる人が多い。」

みたいなことを話されていて、ほー。と思った。


きちきちしたデータに基づいた事例を紹介されるより、
よっぽど、しっかりしていて、誠実さがある。

と思った。



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